
会津若松といえば、明治維新で有名な土地。
子供の頃みた白虎隊のドラマが、今でも記憶に残っている。

それにしても、どうして白虎隊は城下町が燃えているのを城が燃えて落ちたと見間違えたんだろう?
ってのがずーっと疑問だったのだが、現地の飯盛山に行ってみて初めて「こりゃわからん。勘違いするはずだ」って思った。
GoogleMapで見ると解るのだが、直線距離で2キロ位離れていて、自陣の地から城の方をみても肉眼では城が殆ど見えない状態。
当時の様子を表した絵を見ると、自陣の地を描いたシーンで周りに墓石らしきものがちらほら見えるので、一応少しは開発されてる場所だったとしても、今より木が生い茂っていたはず。
そして、政府軍の攻撃で鶴ヶ城自体ぼろぼろだったので、コレは勘違いしてもしょうがないなーと。
御巣鷹山周辺もそうだったけど、実際に自分の目で見るまでは解らないもんだなー。

政府軍に取り囲まれた白虎隊は、何とか前線から撤退するのだけど、その間に白虎隊は散り散りになってしまって、飯盛山へ抜ける洞門を通って飯盛山までたどり着いたときには20名位。
洞門を抜けたすぐそばに、さざえ堂が有って、そこの横を登るとすぐ近くが自刃の地なので、飯盛山に入って自害するまで、それほど日数は経っていないのかな?
白虎隊の中で一人生き残った方がいたから、今伝わってる物語があるんだよね。
隊の皆が自刃した後、生き残った方の証言と政府軍の隙をうかがって、実際に白虎隊の亡骸を埋葬できたのは3ヶ月後だったみたい。
白虎隊が自刃したのが8月末だから、遺体の損傷とかも大きかったんだろうなぁ・・・
会津若松の色んな資料館に、生前の彼らを描いた絵があるのだが、遺体は判別できたんだろうか?・・・・
実際に地図で見るとこんな感じ。
大きな地図で見る
飯盛山から鶴ヶ城で入る地図だと、こんなん。
大きな地図で見る
ちなみに・・・・
Wikiを見るとふもとのお土産屋の事が書いてある。
山のふもとには土産屋が並ぶ。この土産屋一帯は、昔から存在し、「買うように迫る商法」とよく言われ、強烈な誘いで有名だが、現在はあまり見られなくなった。
>現在はあまり見られなくなった。
と書いてるけど、、、、、
無料駐車場とでかでか掲げ客を駐車場へ誘導した後、お土産を買わせる戦法に替わった模様。
まぁ、、、、その土産屋が特別高いわけではないのだが、なんとなくだまされた感が満載でいい気分じゃない。
あと、うっとうしい位シツコイ。
それにしても白虎隊はドラマの印象が凄い大きいと思う。
ドラマ化されたことによって認知度が上がり、今ではお線香が耐えない場所となったのも事実だけど、実は白虎隊って8割は生還してるんだよね。
それに当時の会津藩として言うと、白虎隊のほかにも部隊はあったわけなんだが、そっちの話題は一切聞かない。
自刃から生還した方がいて、その方が晩年に白虎隊の事を語ったというのが一番大きな理由なんだろうなぁ。
ソレがなければ、飯盛山に逃げ込んだ白虎隊がどうなったかは永遠のなぞだった気がする。

一度行ってみたいと思っていた場所だったんだが、実際に行ってみると「今度は別の季節に」行ってみたいと思うようになった。
生まれと育ちが北海道だからなのか、歴史ある街とかってすきなんだよなー。
またいつの機会かいければ・・・と思う。
ちなみに、自宅から車で3時間の距離。
いつでもいけるのだが、いつでもいけると解るとあんまり行かないんだよね・・・
- Older: 会津若松
Trackback:No Trackbacks
- TrackBack URL for this entry
- http://www.norarikurari.jpn.org/action.php?action=plugin&name=TrackBack&tb_id=2262
- Listed below are links to weblogs that reference
- 会津若松 その2 from のらりくらりと
トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。
もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.


